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わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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画竜点睛

 画竜点睛は有名な話で、高校の教科書にも記載されている。「張僧よう」という画家が金陵の安楽寺に白龍を四匹書いたところ、瞳を書き入れない。どうして書き入れないか尋ねたところ「瞳を書き入れてしまえば、龍はただちに飛び去る」という。人々はでたらめだと考え、「張僧よう」に瞳を書き入れさせた。そうしたところ、瞳を書き入れた二匹の忠は空に雷光の中、雲の上に跳び去ったという。ここから「画竜点睛」(物事の大事な仕上げ)という故事成語ができた。
 この「張僧よう」は他の場所でも絵を描いており、ここでも龍である。昆山の恵聚寺に画龍柱という龍の絵がかかれた柱があり、雨が降りそうになると龍が動こうとする。二面の壁に神を、四本の柱に龍を描いたが、その壁の下に行けばどんな重病人でも直ってしまうという。雨が降るたびに龍が動こうとするので、「張僧よう」は鎖を描いて、龍を押さえつけたそうである。

 張僧ようという画家の力はたぶん素晴らしいものであったのだろう。龍というものは、絶大な力を持つ者である。それに命を与え、動かすという点でこの画家の力の程が分かる。ただ、気になるのはこの画家が描いた龍に癒しの力があるということである。そして寺に絵を描いている。そこから考えるとこの「張僧よう」は一種の巫子だったのではないだろうか。龍をおろし、龍の力を持って人々を癒していく。その力の源を龍に仮託したのではないだろうか。

 もう一つ、このころの龍は仏教の守護者としての一面も持っている。仏教伝来、その力を龍に比して語ったのかもしれない。寺には龍が存在し、仏を守っている。龍を使役する仏はより強い神として人々の中に君臨したのではないだろうか。仏教の中では「ナーガ(インドの大型蛇の神格化)」が中国に入ってくる間に龍の一種としてとらえられるようになる。その為龍は仏に支配されるものとなってしまった。そうしたことを踏まえ、龍は仏閣、寺院を守るようになったのではないだろうか。
# by homeandhome | 2004-05-22 20:58 |

治癒神について。

 古代中国の神農、黄帝はそれぞれ治癒を司る神としても有名である。神農は農業と薬草の神様で、どれが人民の病に効くか、自分で味わって試した。黄帝は神農の子孫(炎帝)と争い、その後、やはり治癒の神として君臨した。 この二人は「神農本草経」と「黄帝内経」という本をそれぞれ書いたそうである。

 古い時代、医療は巫とともにあった。何故病になるか、それは悪い神様や悪霊がとりつくため、病気になる。それを癒すためにはこちらも神を呼ばなければいけなかった。つまり神は一方で、自然に対抗するために人が性格付け(力)をしていったj面も大きい。かつて圧倒的だった自然は、人の力ではどうすることもできない。とくに人間にとっては病が自然の中で最も厳しいものだったのではないだろうか。それに対抗するため、神は治癒という側面を与えられたと思う。
 しかしその一方で病は「穢れ」とも考えられたため、医療は長らく、地位の低い仕事に甘んじていた面もある。医療は「穢れ」と「祓い」の両方の側面があり、その穢れの部分を人間が扱い、「祓い」の部分を神が担った。そのため、医師は極端に身分の高い者と極端に低い者に分かれてしまっていた。一方は神殿の僧侶として。一方は怪しい呪師として。
 
# by homeandhome | 2004-05-22 12:22 | 神話

大天使ラファエル

 「ラファエル」は「医者」「癒す者」を意味する。その為、エデンの園の生命の木の守護者であり、また力天使のの君主として名を馳せている。六枚の翼を備えた天使で、智慧の天使としての側面も持っている。治癒神としてはアブラハムの割礼の痛みを癒したり、ヤコブの足の関節をなおした。智慧の天使としては、ノアに箱船を建造するための知識を与えた。
 ラファエルは蛇のイメージと結び合わせられることが多い。蛇は脱皮を繰り返す生と死の生物としてトーテム化されている。有名な神としてアスクレピオスがいるが、この神はギリシャの治癒神である。宗教において、治癒というのは大事な要素である。人は苦痛から逃れるための方策を考える。その際、重要な要素として宗教は機能してきた。現在でも多様な宗教は癒しの構造を備えている。その重要な部分をラファエルは担ってきた。そして蛇は智慧を持つとされることが多い。その為ラファエルは治癒と知識の天使として活躍したのだろう。
# by homeandhome | 2004-05-21 22:17 | 大天使

雑感1

人の生き方を誰が責めることが出来るだろう。

    何か間違えていませんか?
    何故信じられるのですか?
    どうして何も見ていないのですか?

どんなに叫んでも届かない。

 我々の進むべき方向は矛盾している。
 誰も答えてくれない。

    誰も彼もが土台を見失っていませんか。
    誰も彼もが未来を見失っていませんか。

なのに どうしてそんなにも信じられる。

私はだけども無性に責めたくなる。

    見ないふりをしていませんか?
    このままでいいと思っていませんか?

どう伝えようとしても、伝えるべき人は、どこにもいない。

私たちは無力である。一つ一つの思想が、複雑に絡み合い、そのひもを皆が引っ張り合っている。私たちは絡んでいた糸をすでに糸を切ってしまったのかもしれない。
絡んだひもの先は混沌のなかに沈み込んでいくだけ
カオスの縁でいつまで私は踊り続けることができるのだろうか。

 もう坂を転げ落ちているのかもしれない。一つの絶対を信じようとしたときから。 
# by homeandhome | 2004-05-20 23:48 | 雑感

応龍

 応龍は蚩尤、そして夸父を黄帝の為に殺したため、もともとは神の一族であったか、人間界に追放になったという。その後、南方へ行き、そこに住み着いた。黄帝は応龍に乗って昇天したとも聞く。またこの龍は禹(夏王朝の祖)のもとにも現れ、禹が洪水対策の工事を行ったとき、先導して手伝った。一説には龍は年をとることにより、様々な能力を獲得し、翼が生える。そうして翼が生えた龍を応龍と呼ぶそうである。

 この話の中で「夸父」を殺す理由が実はよく分からない。夸父という巨神は日と落日を追ってゆき、黄河と渭水の水を飲み干したが、それでも足らず、結局死ぬという伝説も残っており、この神が応龍に殺されたという山海経の記載と矛盾する。

 ただ、話として「大地」が出来る理由として「巨人」が死んでそこから生まれたとする神話が様々な地域に残っている。たぶん動物の死体から様々な植物が生え、豊かな植物層を作るところから思いつくのだろう。とすれば、この話ももともと世界は巨人の死体から生まれたとする神話を持っていた部族と、龍をトーテムとする部族との融和(あるいは吸収)の神話ではなかろうか。山海経の作者は応龍に夸父を殺させることにより、巨人の国生みの神話を自国の神話の中に取り入れようとしたとは考えられないだろうか。 
# by homeandhome | 2004-05-20 18:54 |