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わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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幼年期の終わり 

Excite エキサイト : 社会ニュース

 子どもを産み育てたくない社会・・・。なるほどと思いますね。今、子ども達が置かれている状況、そして親が置かれている状況、様々なことを考えれば考えるほど子どもを育てる状況ではない。

 極論でいうが、もともと共同体で子どもは育てられており、大人達もまた共同体の中にいた。その共同体は近代の社会において遅れたものとして認識され、その共同体から離脱することが求められていた。共同体から離脱したとき、子どもを育てる機能がすべて家庭に集中し、そのなかでも特に女性にその役割が振られてしまった。かつての共同体では大人も子どもも同じく空間で生活しており、そのなかで皆で育てていった。

 人間関係を「束縛」として見るのは若い世代である。その若い世代の論理が全てになったのがこの社会ではないだろうか。「若い」ということには無限の価値があり、「老い」は価値が低い。社会自体が若者の論理で動くとき、社会は子どもを育てることは出来なくなる。子どもを産むというのは「老い」の一種と見られてしまうからだ。価値は常に「若さ」が基準である。 そんななかで「老いを認識させる=人を拘束する「子ども」との人間関係」に価値を見いだせるだろうか。実際それを拘束と感じて重荷と思ってしまうことも多く存在する。

 結局の所この社会において「老い」は罪なのかもしれない。人は老いることに恐怖する。その恐怖を克服することがかなり可能になったとき、人は老いを拒否していく。その反動が「子どもを産まない」ということにつながっているようにも思う。

 極論かもしれないが、今の社会状況において「老いる」ということは確実にやってくることだが、それを防ぐことが出来たとき、人は子どもを産むという欲求を維持していられるのだろうか。

幼年期の終わり」では人類が成長の頂点に達し、その次世代を産んでしまったために滅びの道をたどることになる。我々はもしかしたらそれを拒否しようとしているのかもしれない。子どもが産まれることにより、取り残される恐怖。すなわち「老い」を恐怖し、それを生み出す者を排斥していく。そして自分たちがまだ「青春」にあることを求める社会。それが今の私たちの世界なのかもしれない。
by homeandhome | 2005-08-01 20:02 | 雑感
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