プロフィール
カテゴリ
全体本 神話 龍 ドラゴン 天使 天使の位階 大天使 堕天使 セフィロース 魔術 雑感 タイトル 映画 ランクル80 RS 未分類 フォロー中のブログ
奄美大島☆撮影日記『情報と宇宙』日記(旧「... 仙波眞弓のココロ 道草いっぱい 週刊!Tomorrow'... 冬 v2.0 ~日本書紀を楽しもう~ ◆木偶の妄言◆ 青猫 「こんにちわ撲滅委員会」... 万理の頂上 - Ab ... いたずら小鬼のイヒッチェク 世に倦む日日 Here 話すコトバをアタシは知らない すべてがNになる。 中国歴史小説と幻想的な恋の話 虹の螺旋 Small crusib... 饗宴~海からの贈り物 たも。の写真日記 Soliloquy(独り言) 世に倦む日日 世に倦む日日 最新のトラックバック
以前の記事
2007年 01月2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 2004年 06月 2004年 05月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
幼年期の終わり
Excite エキサイト : 社会ニュース
子どもを産み育てたくない社会・・・。なるほどと思いますね。今、子ども達が置かれている状況、そして親が置かれている状況、様々なことを考えれば考えるほど子どもを育てる状況ではない。 極論でいうが、もともと共同体で子どもは育てられており、大人達もまた共同体の中にいた。その共同体は近代の社会において遅れたものとして認識され、その共同体から離脱することが求められていた。共同体から離脱したとき、子どもを育てる機能がすべて家庭に集中し、そのなかでも特に女性にその役割が振られてしまった。かつての共同体では大人も子どもも同じく空間で生活しており、そのなかで皆で育てていった。 人間関係を「束縛」として見るのは若い世代である。その若い世代の論理が全てになったのがこの社会ではないだろうか。「若い」ということには無限の価値があり、「老い」は価値が低い。社会自体が若者の論理で動くとき、社会は子どもを育てることは出来なくなる。子どもを産むというのは「老い」の一種と見られてしまうからだ。価値は常に「若さ」が基準である。 そんななかで「老いを認識させる=人を拘束する「子ども」との人間関係」に価値を見いだせるだろうか。実際それを拘束と感じて重荷と思ってしまうことも多く存在する。 結局の所この社会において「老い」は罪なのかもしれない。人は老いることに恐怖する。その恐怖を克服することがかなり可能になったとき、人は老いを拒否していく。その反動が「子どもを産まない」ということにつながっているようにも思う。 極論かもしれないが、今の社会状況において「老いる」ということは確実にやってくることだが、それを防ぐことが出来たとき、人は子どもを産むという欲求を維持していられるのだろうか。 「幼年期の終わり」では人類が成長の頂点に達し、その次世代を産んでしまったために滅びの道をたどることになる。我々はもしかしたらそれを拒否しようとしているのかもしれない。子どもが産まれることにより、取り残される恐怖。すなわち「老い」を恐怖し、それを生み出す者を排斥していく。そして自分たちがまだ「青春」にあることを求める社会。それが今の私たちの世界なのかもしれない。
by homeandhome
| 2005-08-01 20:02
| 雑感
|