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わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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失われてから気づくモノ。

 私たちはいろんなものを失ってから気づきます。いや、失われない限り気づかないというほうが正確かもしれません。私たちは失われたモノの価値を、失われたという空白によってのみ感じ取ります。それは必ず何らかの寂寥を持って自分の感情に訪れてきます。誰の言葉か知りませんが、「チャンスの女神の髪は前髪しかなくて、あとから捕まえようとしてもその髪を捕まえることはできない。」ということをしみじみと感じます。例えどんなにくだらないものでも、結局は自分の中に何らかの痕跡を残していくわけで、その痕跡を眺めることにより、人は感傷的な気分に陥るのでしょう。

 様々な状況の中、様々な選択があり、様々なモノを捨て、様々なものを得ていく。その価値は常に等価とは限らず、失われたモノのほうが大きいようにも思えることがあるが、やはり前を向いて生きていくしかない自分がそこにある。

 私にとって「どうでもいい」「なるようになれ」と思っていることが、その通りになったわけだったのですが、私がずるずると結論を先延ばしにしていく中で、結論を出していく人がいる。私は何を見ていたのでしょう。そこに違和感を感じているならば、自分がそれを表明していかなければならないはずなのに。いつだって可能性を残しておきたいというのはある種逃げでしか無いのかもしれません。いやおうなくどこかで選ばなくてはならない。そのことに対して真剣に考えなかったことが、今の自分の状況を生み出しているのでしょう。

 流される自分が嫌でしょうがなかったのに、それが他の力で壊れたとき、自分の無力さを実感する。失われたモノは自分のちっぽけなプライドだけだ。しかしそのちっぽけなプライドが壊れたとき自分に何が残るのだろう。私は偏狭な人間だ。私の中には無意味な言質と思考のみが残る。

 私は言葉によって生きているが、その言葉は誰の心の中にも残っていかない。私はそうして孤独を思う。口当たりのよい言葉はどこにも痕跡を残すことなく流れ落ちていく。心に刻み込まれるのは、感情を乗せて相手を傷つけるつもりで言った言葉だけだ。私の言葉は人を傷つける。だから私は言葉を選んでなるべく感情を込めないように話してしまう。自分の言葉に感情がのり、相手を傷つけることが分かっているから。そして私は相手を暖めるような言葉を言うことが出来ない。だからこうなったのだろうか。

 私は誰よりも「私」であることに執着している。それが我執に過ぎないことはよく理解している。それをずっと見続けてきて自分がそういう人間であることを実感している。究極的には人とのことなどどうでもいいのだ。ただ生きていくため、人との関わりが必要だと「理性」で判断しているだけだ。それがいくつかの出来事によって、目の前にさらけ出される。そうしてそんな自分がちっぽけなモノだということを改めて見せられる。そうして失われたプライドは容易に逆方向のコンプレックスとなり、私を鬱状態にする。私の感情なんてそんなものです。

 こうして文章に残してみると私という人間がいかに矮小な人間であるかということが分かってきますね。私がこうして書いていくのも自分の心を整理するためですが、これからどうしていくかが私のなかの課題ですね。最終的はこれでよかったのでしょう。
 
by homeandhome | 2004-12-28 22:55 | 雑感
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