わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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安全とは?

Excite エキサイト : JRの安全対策

 安全って一体なんなんでしょうね。最近とみに考えるようになりました。安全とは「気分」の問題のような気もします。安全に対して不安を感じるモノがいる。それを受けて企業は安全対策を行う。その繰り返しによってどんどん安全になっていく。しかしその一方に資本主義の論理「より安く」というものがあり、そのためにも企業は努力し、より安くしていく。

「効率化と安全性とは両立できる」と作家の猪瀬直樹は主張していたが、私はやはりトレードオフの関係だと考えます。。つまり究極の部分では「妥協」が必要なのではないでしょうか。しかしその状態はかなり危険なモノで、境界線の上をどちらに転ぶか分からない状態で進んでいくようなものです。

 この状態を解決するのは多分、技術(テクノロジー)の発展が必要なのだと思います。しかし、その技術に対するコストのかけ方が日本は正直弱いような気がします。国際基督教大学の村上洋一郎が主張する「安全学」など、もっと日本には金をかける部分があるのだろうと思います。

 日本の「知的能力」をどこに使うのか、よく国は考えて欲しいですね。そして私たちも科学に対して無知のままではよくないと思うのです。常に「科学」に対する関心を持つ、思考停止してはならないと思うのです。
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by homeandhome | 2005-05-31 22:24 | 雑感

衝動買いって、こういうこと?

つい、買ってしまいましたHRギーガー(ガイガーって発音のほうが近いって説も)三部作。

ネクロノミコン

ネクロノミコン2

ギーガーズ・エイリアン

小さい頃、本屋で見つけて、欲しくて仕方がなかった我執いや、画集です。当然良識ある親に「買って」とは言えなかった代物。

再販万歳!!
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by homeandhome | 2005-05-30 22:07 |

自殺と自己決定

Excite エキサイト : 送電塔から

 こいつと上の記事ネット心中

 ですが、私たちには「死ぬ権利」というのは認められているのでしょうか?自殺は基本的に罰せられます。自殺を手伝った場合も、自殺幇助という形で罰せられます。自分の身体の処遇を自ら決めることが出来るとする近代の考え方を敷衍していくと、自殺は認められるような気もします。しかし、心情的には認めたくないですね。その一方で安楽死というもの、あるいは尊厳死というものもあります。どうなんでしょうかね。そちらのほうは心情的には認めたいと思ってしまう。その差は何なのでしょうか。

 不可逆的に状況が変わることがない状態において、明らかに生きることが苦痛に満ちていると認められる場合、安楽死を認める国もあります。一方我が国の場合、つい先日安楽死(医師申告)を行った事件に有罪判決が出ています。宗教的には日本のほうが安楽死を認めやすいように思うのですが、逆ですね。

 自殺の問題、安楽死の問題、脳死の問題、様々な部分で根本である「生死」が現在問われています。よりよく生きるということがどういうものか与えられた時代から、一人一人考えていく世の中になったということでしょう。

 ただ、本音を言いますが、自殺するときに人に迷惑をかけるようなことはして欲しくないですね。どうなっても基本的に迷惑をかけるのが自殺ですが。
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by homeandhome | 2005-05-29 21:47 | 雑感

祭り

 今近所で祭りが始まっている。その祭りは20年ほど前から始まった祭りで、宗教的な部分はかけらもない。しかし、かなりの人々がこの祭りに集まってくる。

 「祭り」と名付けることによって何かが可能になる。というより、何らかの魔力が存在し、その魔力に人々は取り憑かれるのではないだろうか。よく「祭りのあと」という言葉があるが、いきなりの狂乱とその後の沈静化が祭りの主要な効果である。そのなかで、祭りの間は無礼講だという感覚もある。

 私たちは常に祭りを欲している。様々な日常(ケの日)を生き、たまにある祭り(ハレの日)を生きてきた。その祭りとは本来「大きな物語」に所属しており、世界の本質に迫ろうとする、または人間の本質に迫ろうとする行為ではなかっただろうか。人間の本質=野生の部分を励起し、様々な文化的な身分を放り投げ、何か(それを神と呼ぶか、何と呼ぶか)に身を捨てる。その狂乱=本能の表出が重要な部分であり、祭りの作法はどうそこに近づいていくかというルートを指し示している。

 さて、では現在の祭りは何に裏付けられているだろうか。これは基本的には「経済活動」である。経済活動としてどう人々を動員するか、いかに人を呼ぶか、そのことにより経済的効果を計る。そこには計算が働いており、決して狂乱と呼べるモノではない。かつては狂乱を導くためのイベントが今は狂乱ではなく「金」を導くため、より規模を大きくしている。そして分かったことは「祭り」は金になるということである。そうして、現在この日本だけでも毎週末、「祭り」」が行われている。祭りは本来「ケの日」によって溜まったケガレを「ハレの日」に落とすというのが一つのパターンだった。しかしそれが溜まらないままに祭りが行われ、それをただ消費するというのが、現在の祭りである。つまり、祭りの主が経済活動に組み込まれているのである。

 では、そこからの脱出はいかにして行うか。それは「祭り」の企画者になるしかないのだろう。愛知万博においてもただ「見に行った」人間と「ボランティア」として参加した人間、どちらが充実度が高いだろうか。祭りというのが、狂乱を求めているのならば、現在その狂乱はイベント企画のなかにしかない。そこに金銭とか関係なくコミットして、自分が改変していく、それこそが本当に祭りを楽しむために必要なことかもしれない。「踊るあほうに、見るあほう、おなじあほうならおどらにゃそんそん」という言葉があるが、それだけでなく、現在は人を踊らせる方に参加しなくてはならない。そうすることにより狂乱=ケガレの解放につなげることができるだろう。
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by homeandhome | 2005-05-29 08:53 | 神話

NPTの矛盾。

Excite エキサイト :

 こうなるかもとは予想していましたが、残念ですね。

 大国は既得権をもとに、核保有権を主張し、小国は大国からの安全保障を考え、核を持とうとする。以前は大国と大国との冷戦構造下、核戦争=最終戦争に対する恐怖のイメージが人々の間にもあり、それを避けようと人々は努力していた。かなり厳しいチキンレースだったわけであるが、次善策としてNPTは受け入れられてきた。

 しかし、いま超大国は一つとなり、その超大国が核を自分たちが管理する=最強の力を独占するという形でエゴを遠そうとしている。小国は小国で、核を持つことにより国際社会での存在感を増し、譲歩を引き出そうとする。

 核という兵器は以前も書いたとおり、使用できない兵器である。いわば自殺用の兵器である。「使用したものには使用できる」報復用の兵器としての価値しか核にはない。日本に原爆が落とされた時点で、核兵器の使用法はすでに限定されているのである。「撃ったら撃たれる」それが核による安全保障の根幹である。

 しかし現在、チキンレースを行おうとする機運が高まってきている。特に小国においてはその傾向が強い。決して先進国には追いつけず、貧困を押しつけれる。そのとき、死は公平に人に訪れるのだから自分たちと同様に心中しようというような心情にならないとは限らない。
その一方で大国は使用できない兵器ではなく、使用できるものに変えようとする動きが存在する。実際に使えなければ兵器としての価値がないからだ。

 矛盾だらけだのNPTだが、それでもなくてはならないものだと思う。現在の手段の中で核削減に力を発揮できそうなのはこの条約だけだからだ。「核兵器」を無くすというのは全世界で共有できる倫理だと思う。その倫理に向けて努力するということが、これからの国際社会において大切なことだと思う。
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by homeandhome | 2005-05-28 11:16 | 雑感

がんばれベアーズ

Excite エキサイト : スポーツニュース

って映画ありませんでしたっけ
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by homeandhome | 2005-05-27 18:53 | 映画

正直、ぞっとしますね。

そう単純に「脳死は人の死」ではない・・・・・・らしい。

 医者は勝手に脳死判定することが出来る・・・ってそりゃ、まずいんじゃないんですか?河野さんの案で、医者は脳死判定するかどうか決定するってあるが、「脳死判定」は安全な検査ではないという小松義彦の主張もある(脳死・臓器移植の本当の話・php文庫)「脳死判定」それ自体がその患者を「脳死」に追い込むこともある。

 そう考えると危険な状態の患者に対してさらに危険にさらすことになる。そうして人間の身体は人としての主体から「もの」に変わっていく。

 本当に意思表示していない人間に対して「脳死判定」をしてもよいのですか?それはある意味殺人を認めるということにつながりはしませんか?

 また脳死患者からの臓器移植の歳「麻酔」が使われているという。それは臓器移植の時、患者が暴れまくるせいだという。そのとき本当に脳が痛みを感じていないのか?まだわからないことが多い、人体に関して、そんなにあっさり生体反応があるものに対して「死」を宣告し、その「死」へ早く導こうとする体制は本当によいのですか?

 正直、アホ言うなという気持ちです。私は意見表明のため、ドナーカードに「臓器移植しない」という形で意思表示をしていますが、そうしないと、勝手に殺される世の中になっていくのはかなり恐怖ですね。
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by homeandhome | 2005-05-26 20:02 | 雑感

ちょっと待ってください。

Excite エキサイト : 政治ニュース

 これは、あまりに拙速ではないでしょうか。「本人の意志を明確にする」という条件がこの法案では最も重要な部分であったのではないでしょうか。それを意志がない場合は「家族の同意で」という点にまで後退させるのは反対です。一度臓器移植法案が通ったあと、移植数が少ないから、「なら、本人の意思確認なんてしていられない。」というのはあまりにその本人の権利を侵害する行為のように私は思います。死んでいく人には権利は認められないのでしょうか。

 
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by homeandhome | 2005-05-25 22:32 | 雑感

人体と個人主義。

Excite エキサイト : ES細胞


 ES細胞を創るための資源として、「卵子」が現在必要である。卵子は「月1」排出されていくものであるが、それを利用して治療に当てるということにも何か違和感を感じる。上記の記事でも出てくる。以下引用。

「たとえそれほど多くの卵子を必要としないとしても、製造過程に女性が組み込まれることに変わりはなさそうだ」と、キャメロン氏は話す。「今回の研究によってすべてが大きく実現へと近づいたため、やはりこの技術を実用化するために女性が酷使されるのは避けられないだろう」

 女性の身体は生命を生み出す仕組みが組み込まれている。そのためこういう利用も「出来る」が、それは行っても「よいのか」。例えば現在体外受精を行い、他人の子のために子宮を貸すということも行われている。そしてこの技術を突き進めていくと「卵子」を売るというパターンになっていくことも考えられる。

 人体売買=奴隷制度=「野蛮」な行為と近代的思想では考えられるが、では、自分の肉体を「売る」という行為はどうなのだろうか。文字通り、自らの身体の処遇はその持ち主にあるのだろう(近代的自我において)。

 この思想の裏には肉体=物体=金銭的価値に置き換えることが出来るという精神と肉体の二元論がまかりとおっているのではないだろうか。肉体の影響下に精神はあり、精神の影響下に肉体はある。現実的な部分として肉体にかけられたダメージは容易に清新に影響を与えているし、精神によって、肉体は鍛えられるものでもある。そういう意味で不可分な境界線上のものを私たちは分裂したものとしてとらえすぎてきたのではないだろうか。そう考えると肉体を金銭的価値に置き換えてしまう現在の思想は後に「野蛮」なものとして糾弾されるのではないだろうか。
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by homeandhome | 2005-05-24 22:21 | 雑感

六龍(りくりょう)

 六龍とは「天子」の馬車を引く馬のことである。

 六馬を「六龍」というのは太陽を引いているのは六頭の龍だからだそうだ。天子はその太陽の子孫であるから、天子の馬車において馬=龍は六頭でなければならない。では、なぜ六でなければならいのか。それは六=天地東西南北の方向を示しているからという説がある。

 
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by homeandhome | 2005-05-23 22:03 |