わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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ヒュドラ

 ヒュドラ(ヒドラ)はヘラクレスと戦った毒をもつドラゴンである。このドラゴンは台風の神チュポンと半人半蛇エキドナから生まれた怪物の中の一つである。ヒュドラには9つの首を持ち、その首の中の8つまでは殺すことが出来るが、真ん中の一つだけは不死身である。ヘラクレスはこの大蛇を結局殺すことは出来ず、たたきつぶして、その上に岩を乗せて押さえつけたそうだ。

 ヒュドラを特徴づけているものは、この九つの首である。ある神話学者は、この首は埋めようとしても埋めることの出来ない沼地の表現であるという。沼地を埋め立ててはたけにしようとしても次々に水かわき出してくる。それが切り落としてもなんどもよみがえるヒュドラの首として表現されているという。

 ヒュドラはヘラクレスの英雄伝説のなかの一つであるが、このヒュドラの毒が結局、ヘラクレスを殺してしまうというのがこの伝説の面白い所でもある。アキレス然り、ジークフリードしかり、半不死の身体を持つが、その不死性はどこかかけた所があり、そこが致命傷となる。それは英雄の宿命であるようにも思う。英雄は伝説としては不死であるが、肉体としては死ななければならない。英雄は死ぬことによりその命を得るからだ。その為には強大な力を持つものが倒されることが必要であり、そして英雄自身もその自らの力で死ぬことが運命づけられていると思う。
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by homeandhome | 2004-10-31 19:42 | ドラゴン

夜、高速道路で。

 夜、高速道路を走っているときに、ふと友人が話したこと。

 「雨の日の夜の高速って、Xファイルのシーンを思い出すね。」

 その日は、雨のせいでけぶっており、インターのあたりだと、空中に突然光があるようで、私はそれを見ながら

 「未知との遭遇みたい」

 私達の認識は見たことのあるものを、外部からの刺激で思いだし、類型化し、コトバによって表現しています。その経験が多ければ、多いほどイメージに対する意味の喚起はしっかりしたものになってゆきます。

では、現在の私達が最も多く経験しているもの(ここでいう経験は、外部感覚に対する刺激一般です)を考えてみると、映像文化なのではないか?と考えてしまうのです。それは以前9.11の「同時多発テロ」のときにも感じたのですが、私達は比喩の表現として映画、テレビなどのメディアで表現されたものを使用することが多くなっているように思います。それだけ感覚が鋭く為ってきているのでしょう。

「映像によって、現実を認識する。」

ここには主客の転倒があります。本来なら

「現実の記憶により、映像を認識する。」

のが、本来の映像と経験の関係でしょう。しかし、現在の私達は、映像を映像として純粋に経験しており、それによって、現実を認識するように変わってきたのかも知れません。確かに映像化される場合、経験から映像の現実感を生み出している(リアリティの創造)。それが、他の人々が見たとき映像体験として蓄積され、映像の享受者達はそれを映像として経験する。その体験は現実のようでいて、現実から半歩離れている。それが繰り返され、最後には現実よりかなり離れた映像も現実のように定着するのではないでしょうか。そのため本来私達が経験できないようなこと(例えばマトリックス)でも、楽しめるようになったのだと思います。そのような経験の積み重ねから、現実を映像体験から認識するような逆転現象が生まれてきたのだと私は思います。
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by homeandhome | 2004-10-31 09:22 | 雑感

凍る。

 本日、朝車に乗ろうとしたところ、車の窓ガラスが凍っているのを発見しました。放射冷却で寒くなるのは分かっていましたが、まさか凍るとは・・・。そのことを職場で離した所、「うそいうな。」「さすが、○○○(場所名)」とさんざんからかわれました。

 ついこないだ、残暑の中で暮らしていたような気もしたのですが、季節が過ぎ去るのは速いですね。
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by homeandhome | 2004-10-28 22:41 | 雑感

鮮やかすぎる月

 月が出ています。鮮やかすぎる月です。秋の澄んだ空気の中にはっきりとした姿が見えます。私はこういう月を見ていると、なにか寂しくなってくるのです。月の光は明るければ明るいほど、冷たさが増していくように思います。

 徒然草の作者、吉田兼好は「月は満月だけがよいというのは、風流の分からないやつだ」ということを言っています。「狂気」=それが風流、という観点から考えれば、やはり満月にかなうものはないのかもしれません。lunatic=狂気というのは英語の感覚ですけれども、月には昔から魔力があると考えられてきました。それは月の光だけが持つ狂気と関係があるのかもしれません。
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by homeandhome | 2004-10-27 22:36 | 雑感

こたつ。

 今日は寒いのでこたつを出してしまいました。はやい、とも思うのですが、寒さには耐えられず、ごろごろしています。しかし、なぜかこたつに入ると眠くなる・・・。何ででしょうかね?足下が暖かいということが影響しているのでしょうか?こたつが大好きな私は、そんなことをつれづれと考えながら入っています。

 ただ、今私は暖かい中にいますが、新潟ではこの寒いなか、ひどく大変そうです。ただ今ニュースで自分の家に残ったひとの様子を映しています。「生まれ育った場所だしね」という言葉に、土地に根ざして生きるということの重みを感じます。どんなにつらい状況だろうが、その土地から離れられないという気持ちはよく分かります。危険と思ってもそこから離れることが出来ない。そんな人たちに一刻も早い支援が行くことを祈っています。
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by homeandhome | 2004-10-26 22:12 | 雑感

聖杯

 様々な天使がそれぞれ杯を持っている。例えば大天使ミカエルは真実の葡萄の樹からとられたワインで満たされた真珠の器を持っている。ラファエルは乳香の器を持っている。またイエス・キリストも最後の晩餐で聖体のシンボルとして聖杯を持っている(インディ・ジョーンズでも出てきた)。

 キリスト教神秘主義において杯と皿は、イエス・キリストの犠牲の血が保管されている小さな器と見なされている。中世の絵の中でキリストの血を神秘の泉から組んでいる絵もある。それを様々な人々の器の中に注いでいる。この図表はキリストの血と愛を信者たちに分け与えるものである。

 「器」はそのなかに「聖なるもの」を入れる為のものとして、信仰されてきた。ヒンズー教でも壺は霊的なシンボルであり、そのなかに神の飲み物ネクタル(あのネクターの元ネタ)を入れている。

 器の重要な役目は「水」を納めることことであろう。「水」は古来より聖なるものとして讃えられている。その水を中に納めることの出来る「器」が聖なるものと信仰されるのももっともなことである。水=世界の元素として見れば、この世界は大きな器に入った水といえる。器の中に世界があり、神は世界という名の器を持っている。神の偉大さを表現するものとして「器」の図象は重要なものであったろう。
 
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by homeandhome | 2004-10-25 21:44 | 天使

天使の持つ剣

 天使はしばしば剣を持って描かれる。その代表格は大天使ミカエルである。剣は地上では死をもたらす力を表現している。天使達はその剣を持って悪を切り刻む。それが地上での役割であるとすると、霊的な世界ではもう一つの面を見せる。神の愛の力である。火の剣をもって、病毒などを焼き尽くし、浄化する。

 この天使に対するイメージは古来より我々が剣に対して持っていたイメージの増幅された姿である。剣は多分我々が文化を持たない頃から手にしていた道具であろう。それは他の力強い動物たちと互角に戦うための爪であり、食料を切り分け、飢えをしのがせてくれる道具である。また剣は同時に人を傷つけることができる道具でもある。この二面性に対して人々は神秘的な意味合いを常に剣という道具に持たせていたのではないだろうか。

 あなたが切り刻むべきなのに

 切り刻むことが出来ず

 あなたがよく考えることができないときには、彼にこう呼びかけよ。

 ミカエルよ、力を与え給え

 あなたの足は蛇の頭を踏みつける

 あなただけにできる冷たい力で

 あなたが切り刻むもの、それはきっと死ぬ、と。

上記は聖ミカエル祭で読まれる聖句であるが、ここでミカエルが持つ力は「蛇の頭を踏みつける」ものである。人が死ぬとき、非常に苦しみを与えられる。その後人々は浄化され天に昇る。人々の罪の部分は「蛇」として「剣」により「分離」され、踏みつぶされる。そして魂は束縛から逃れ、治癒されるわけである。

 このような思想は通過儀礼などでよく見かけられるもので、一度死を体験することにより新たな世界に生まれ変わる。その役割として「剣」の表象がよく用いられる。つまり剣の役割は二つの世界を渡るための力であり、二つの世界に分けるための力を表すのだろう。ジョルジュ・バタイユは「全て動物は世界の中にちょうど水の中に水があるように存在している」と語る。この語りは動物は世界から独立していないということを示している。一方人間は「意識」によって世界から分けられている。だから「剣」という道具はだから「意識」の象徴でもあるわけである。通過儀礼においても子どもの世界から大人の世界に生まれ変わるということは、本能で生きる世界から理性で生きる世界へと生まれ変わるのである。

 天使の剣はそうした意識の象徴であり、また悪を滅ぼし、善に力を与える象徴として、常に描かれ続けたのではないだろうか。
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by homeandhome | 2004-10-24 21:24 | 天使

方丈記

 自然災害が続きます。台風が来て、地震が来る。鎌倉時代の随筆「方丈記」を思い出します。鴨長明が残した随筆に、地震、大風など、自然災害について、その為に興る、人心の荒廃が描かれています。鴨長明はそこから、人生の無常を語り、ついには自分のこだわりまで否定していきます。

 多分こういうときに行政の力が本当に試されるときなのでしょう。大きな集団を組んでいるメリットはこういう災害が起こったときに、その傷を全体でフォローすることが出来るという点にあります。「平時」のときには集団のメリットは見えにくいが、「非常時」になったとき集団の力が役に立つのです。その力をうまくコントロールすることが行政の力なのだと思います。

 鎌倉時代の行政はそれに失敗しました。混乱をさらに増長することしか出来なかった。その為(だけではないですが)に滅んでいきました。今の日本の行政も近い状態のような気もします。行政がこういうときに機能することにより、行政に対する信頼は増していきます。しかし逆に手が遅くなるとどんどん信頼は落ちていきます。

 行政の「長」はそのときの行動で本当の「資質」が問われるのだと思います。

 
 

 
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by homeandhome | 2004-10-24 07:50 | 雑感

「体」について

 一週間が終わろうとしています。海外出張から帰ってきて、すぐ風邪を引き、自分たちの部署が中心になっている仕事に取り組み、ようやく終了というところです。正直、怒濤の一週間でした。週の頭の風邪を引いていた時期のときは「辛そうだね」って言われていましたけど、週の終わり頃になると、「もしかして仮病だったの?」と言われるくらい、元気になっておりました。

 人間、体が資本です。ということですが、人間にとって体とはなんなんでしょうね。先日車を運転していて(毎日しているのですが)、ふと、何かを踏んだとき感覚が伝わるときがありました。たまたま私にとってよく使う道具が「車」だからですが、道具を体の延長として、もしくは体そのものとして感じるときがあります。人間にとって、体というのはもしかして、感覚がとどくその先までが体なのかも知れません。ある一定の「空間」と言い換えた方がよいかも知れませんが。

 人間は自分の体と同じように、道具によって作られた空間を支配する

 例えば車がぶつかったとき、私の感覚の中で「けが」をした感覚と同じような感覚を受けます。純粋に言うと違うのかも知れませんが、人間にとって道具は「体」を巨大化させるように思います。

 そう考えると、どんどん世界は広がっていき、インターネットなども自分の感覚を広げてくれる道具と言えるのかも知れません。ただ広がりすぎて、我々の人間としての感覚が希薄に為ってしまう危険性もありますが。
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by homeandhome | 2004-10-22 19:41 | 雑感

マカラ

 インド神話のマカラは海や大河に住む龍で、鱗に包まれた鮫の身体と、とぐろを巻いた長居尾を持ち、大きな目を見開いて、大きな口を開けていると言われる。そのマカラはインド仏教が中国に伝わると同時に、中国にも「摩迦羅龍」として伝わる。摩迦羅龍は全長200kmを超え、大きな船をひとのみするという。あまりに巨大なため、気がついたときにはもう飲み込まれている場合も多かったそうだ。

 
 
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by homeandhome | 2004-10-20 21:24 |