わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
by homeandhome
プロフィール
変な人の変な趣味一覧と変な意見。

fuyu's world ver3
カテゴリ
全体

神話

ドラゴン
天使
天使の位階
大天使
堕天使
セフィロース
魔術
雑感
タイトル
映画
ランクル80
RS
未分類
お気に入りブログ
奄美大島☆撮影日記
『情報と宇宙』日記(旧「...
仙波眞弓のココロ
道草いっぱい
週刊!Tomorrow'...
冬 v2.0
~日本書紀を楽しもう~
◆木偶の妄言◆
青猫
「こんにちわ撲滅委員会」...
万理の頂上 - Ab ...
いたずら小鬼のイヒッチェク
世に倦む日日
Here 
話すコトバをアタシは知らない
すべてがNになる。
中国歴史小説と幻想的な恋の話
虹の螺旋
Small crusib...
饗宴~海からの贈り物
たも。の写真日記
学術系ブログの情報サイト
Soliloquy(独り言)
世に倦む日日
世に倦む日日
最新のトラックバック
おいおいおいwwwwwww
from ぷちょ
はわぁぁぁわわぁあ!!!!
from タラ様
ナスwwwwwwww
from マサマサ
Η(・∀・)イイ!!
from しんや
初でこれかよw
from パイパソ専門
うぇあははあはわ!!wwww
from 管理人
うぇあははあはわ!!wwww
from 管理人
羞!恥!心!
from 金 太 郎
(゜д゜)ウマー
from (´・(ェ)・`)クマー
ぴゅっぴゅっぴゅっ
from ヒットエンドぴゅっ!
以前の記事
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月
2004年 09月
2004年 08月
2004年 07月
2004年 06月
2004年 05月
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2004年 06月 ( 43 )   > この月の画像一覧

 コウ (ごめんなさい、漢字が出ません)

 コウ(獣偏に孔の字を書く)は龍の脳が好物で、龍と戦うたびに口から数丈の炎をはくと言われる。康煕帝の時代、一匹のコウが三昼蛟夜に渡って、三頭の蛟と二頭の龍と戦い、二頭の蛟と一頭の龍と相打ちになって死んだそうである。形は馬でたてがみは麒麟のような獣で死語もそのたてがみから炎を発していたらしい。

 最強の龍と互角に戦う獣ということで、イメージはふくらむが、やはり、龍と戦うためには「炎」が必要なのかもしれない。基本的に龍は水のトーテムであるし、その蛇の身体は水を連想させることが多いだろう。だから必然的にコウはたてがみや口からはく炎という属性を持ち得たのだと思う。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-30 22:33 |

ジーニアス

 ジーニアス(Genius)という単語は現在、優秀な頭脳、天才を意味する言葉である。が、もともと、ローマ人男性の守護天使であった。ちなみに女性の守護天使はジュノーと呼ばれていたそうである。で、ローマでは誕生日の祝いは、誕生日を迎えた人を祝うのではなく、ジーニアスを讃えるものであったそうた。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-29 22:09 | 天使

ケツァルコアトル

 中米のアステカの最高神として君臨する蛇神として「翼を持った蛇」ケツァルコアトルがいる。ケツァルコアトルは戦いを嫌い、他の神に反対されてまで人間を味方した神である。ケツァルコアトルは人間にトウモロコシの作り方や、神々への礼拝を教えたそうである。
 
 ケツァルコアトルは何度も世界を作りますが、戦の神テスタトリポカの妨害で何度か滅ぶ。現在の世界は4度目の世界であり、ケツァルコアトルとテスタトリポカが協力して守った世界であると伝えられている。

 この神話では「人間」とは戦いと平和という矛盾した性質を持つ。それは、ケツァルコアトルlが人間を創造したとき、他の神々から反対されたという部分から分かる。また現在の世界が平和の神と戦の神の両方が存在するところからも分かる。中米の人々の中にも人間という存在の矛盾に対して理由を考えようとしたのかもしれない。ただ雑感だが、この話はギリシャ神話の「プロメテウス」を彷彿とさせる。洋の東西を問わず、人は、神に愛され、そして神に憎まれる存在として描かれるのには、なぜだろうか。 
[PR]
by homeandhome | 2004-06-28 22:48 | ドラゴン

ミクロコスモス・マクロコスモス

 人間はよく大宇宙と対比される。例えば古代中国において、司馬仲達が諸葛孔明の死を赤い大きな星が落ちることで知ったように。あるいは神が自らの似姿として人間を形作った伝説が残っているように。

 洋の東西を問わず、こういう伝説があるのは、なぜだろうか?自分を世界の構成要素と感じるだけでなく、自分の身体自信が一つの世界と考えるところが、現在のフラクタルを思い出させる。部分的に見ても全体的に見ても像が変わらない状態をフラクタルというが、人間はそのように世界を太古から考えてきたのかもしれない。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-27 21:25 | 神話

レヴィアサン

 旧約聖書に神の敵としてレヴィアサンは登場する。もともと古いアッカドの神話のドラゴンで、死の神モートの部下として、様々な災厄をもたらす。例えば太陽や月を食い荒らして日食を起こし、世界から光を奪うなどの行為を行い、豊饒の神バアルに打ち砕かれる。

 そのままレヴィアサンは旧約聖書に取り込まれ、神の創造物として最も恐ろしい海の蛇として記述される。またレヴィアサンを倒したバアルの方も堕天使ベルゼブブとして悪魔とされている。

 旧約聖書はこの地域の神話をかなり取り込んでおり、そのなかで自分の神話を補強するためにアッカドの神話を取り込んでいったのだろう。その中でも「日食、月食」を神格化したレヴィアサンは神の敵としてふさわしい力をもっていたと判断したのだろう。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-27 11:34 | ドラゴン

天使の肉体

 多くのキリスト教世界において、霊的存在は肉体を持たない。天使が肉体を持つか、持たないかという題材は、だいたいにおいて、肉体を持たない方向で決着する。その思想の根本にあるのは、「肉体に対する憎悪」ではないだろうか?例えば天使のなかでも最下層のものは肉体を持ち、人間と交わって、堕天使となる。肉体の快楽に対して、病的なほど、押さえつけようとする。

 よくキリスト教は「男性的原理」の宗教であるといわれるが、「肉」の再生と創造を「男性的原理」では持ち得なかったことが、肉体への否定につながったのではないか?霊的存在・・・つまり目に見えない存在とすることにより、肉体という「女性原理」の存在の否定を画策したのではないか。

 ただその考え方のなかに、天上界への指向というものが伺える。天に浮かぶものは直感として、形(物質)を持ったものでは不可能であり、肉体はこの地上に縛り付ける存在である。つまり「重さ」より「軽さ」の優位が感じられる。よくいわれることであるが、クラシックバレエは天上界への憧れを表現し、モダンバレエは肉体(存在)の重さを表現する。この指向はそのまま天使の肉体への考え方とつながるようにも思える。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-26 08:31 | 天使

「神話とは歪曲である。」

 一つ一つの神話が表現しているものは、それ自体が文化であり、伝統であると思う。しかしその伝統は、多分、かなりの人為的な、あるいは自然な歪曲を受けて存在しているのであろう。その人為的な衣をはがそうとすることは、もしかしたら神話自身の命を途絶えさせてしまう行為なのかもしれない。

 しかし、そうやって複雑な要素が絡み合い、現在も生き残っている神話群、あるいは、ク・リトル・リトル神話のように、現在進行形の神話などは、結局は人間の力ではほぐしきれないもののようにも思われる。

 解釈すればするほど矛盾が出てきて、矛盾が出てくれば出てくるほど、解釈は無限のパターンを取りうる。神話の解釈は自由であり、そのことが多様性を保証する。多様性は生命の重要な要素であり、それの統合が「生命がある」ということなら、神話はこうやって語られることにより生命として存在しているのかもしれない。
 
[PR]
by homeandhome | 2004-06-25 21:42 | 神話

混沌

「荘子」のなかの一節、「渾沌」の話はいろいろ示唆に富む話だと思う。

南海の帝と北海の帝が中央の渾沌の住む土地で出会った。主人役の渾沌はこの二人を歓待し、南海の帝と北海の帝の二人は渾沌の好意に報いようと相談した。「人の身体には七つの穴があって、その穴で見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりしている。ところが渾沌にはその穴がない。ひとつ穴を開けてあげよう。」
 そこで、二人は毎日一つずつ渾沌の身体に穴を開けていったが、七日目になると渾沌は死んでしまった。

 この話はよく、よけいなお節介の話で出てくる話ではあるが、創世神話の基本を踏んでいる。天地開闢において、巨人が死んで新たな世界が形作られる。 渾沌は天地開闢の前の全てが混在している状態を表現しており、その状態が変化することにより、世界が形成される。さながら、姿形のはっきりしない物が名を与えられることにより、その姿を我々の目の前に表すように。この話の中の「穴開け=人為」を行うことにより、世界は人間のものになる。ただし、その本質は変化しており、滅びゆくものとして人間に与えられる。このことは人間の力の及ばないものの存在、何か偉大なものへの憧憬を表現しているようにも思われる。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-24 22:37 | 神話

ピント。

 毎日の歩みの中で見落としている物が多いと感じることがあります。それは不思議なことでなく、ごくあたりまえのもの、通勤途中の信号、そこをわたっている人・・・・。

 私たちは様々なことを意識せず、無視している。ピントの合わせ方をわざとずらしているような気もします。何故ピントを合わせないか、ピントを合わせれば面倒なことが起こるからではないでしょうか。

 ただ、そういうどーでもいいところにピントが合ってしまったときどうしますか?ピントが合うとき、私の場合、非常に気になってしまいます。周りから見たら、たぶんどうでもいいことなんですがね。

 ただそういうことにピントが合ってしまって、他の所に目が向かなくなってしまっているのかもしれません。人間にはどこかきっと死角があるでしょうから。

 
[PR]
by homeandhome | 2004-06-23 23:07 | 雑感

天使と出会う2

 天使と出会える時間は明け方がふさわしいらしい。イエスキリストの復活のイメージと重ね合う。「ヨブ記」の中で、天使達は明け方の星として描かれている。つまり、ここのイメージは「夜」という死の世界から朝という誕生の時期に、天使との出会い、つまり霊的なものとの接点が生まれるのではないかと思われる。

 常に謳われるものは生と死のサイクルであり、回転する円弧である。夜という静と昼という動の狭間の「夜明け」は人間のサイクルの中でも特別な時間になるのだろう。
[PR]
by homeandhome | 2004-06-23 22:27 | 天使