わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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第一の座 ケテル(王冠)

 生命の木の頂点、神の第一の流出であるケテルは至高なる原動者、造物主、超人的存在としての神の創造力を表している。このケテルの守護天使は全ての神の創造物である。シンボルは王権を表す王冠と始まりの数である1である。またイメージはひげを生やした老王であり、このセフィロースを擬人化したものがローマ神話のユピテルやギリシャ神話のゼウスであるといわれる。

 
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by homeandhome | 2004-05-31 21:47 | セフィロース

セフィロースについて。

 カバリストたちはこの神がつくりたもうた世界に何故悪が入り込んだのかを論理的に説明しようとした。その一つは神は、善であると同時に悪であるという考え方である。つまり神はあらゆる思想の総和であるとし、もともと矛盾に満ちた存在であるという考え方である。我々の思想すべてを含んだ者が「神」であるという考え方である。

 もう一つの考え方が、もともとこの世界は「神」と「無」しかないという考え方である。これは光の比喩で語られる。この世界は一つの鏡であり、その中を神という光が反射して出来ていると考えるのである。この世界は不完全な鏡であり、神の光も反射を繰り返し光を弱めているため、この世界では神の恩寵が少ない。そして我々はその少ない恩寵を少ししか感じられないために神を理解できないとする。

神は無の中に自らの光を何度か流出した。その数は10に上る。つまりこの世界は10の段階(様相)を呈する。これを「セフィロース(セフィロト)」という。セフィロースとは宇宙であり、世界であるとする。頂点は神の世界である。そしてカバリストはそのセフィロースを上っていくことにより最終的に神との合一を目指す。

 セフィロースは生命の樹と呼ばれる図で示され、宇宙の隠れた基本構造を指し示すそうである。それについて、各世界ごとにのち説明していく。
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by homeandhome | 2004-05-30 21:04 | セフィロース

「死」について。

 現世に生きる人間にとって、死というのは切っても切り離せないものである。そのため神話では「死」に対していろいろな理由付けをするための話を作り出してきた。

 例えば現在の「死神」のイメージは「鎌」を持った髑髏の姿で描かれることが多いが、この鎌は農夫として魂を刈り取る(収穫する)というイメージが死神にはあるからである。我々は一定のサイクルの中に生きている。その姿が最もよく現れているのが植物の姿である。ほぼ人が農耕を始めた頃に「死」の儀式化が始まったと言われる。農耕により、定住化が可能になり、その土地の一年というものをより意識するようになったからかもしれない。つまり「死」のイメージには「円環」のイメージが不可欠なのではないだろうか。

 我々は死を直接的なものとして知ることはできない。ただ周りの状況から比喩的に知ることができるだけである。自分自身の死を知るためには自分自身が死ぬしかない。周りの状況から死に対してどう向き合うか、その一つの答えが神話にあるのではなかろうか。神話における死の概念はどの神話にも存在する。我が国の神話で言えば「黄泉の国」などが挙げられる。一方仏教においては「地獄」の観念、そしてキリスト教では「HELL」の概念など、様々な世界を形作っている。そしてそれこそが我々が今まで積み上げてきた死の概念だと思う。
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by homeandhome | 2004-05-30 11:00 | 神話

ウロボロス

  ヤーヴェを蛇とする考え方は異端視されたグノーシス派に引き継がれる。以前にも記したとおり、この派はこの世界を創造主(デミウルゴス)の作った不完全な世界と考えた。そのため、アダムとイブが楽園から追い出されるきっかけとなった「蛇」を智慧ある者として崇拝した。そしてアダムとイブの原罪を否定し、救済の手段を智慧(グノーシス)に求めた。その為この派のシンボルを「ウロボロス」とした。

 このウロボロスは自らの尾を咬むドラゴンであり、これは全体性を意味する。「始源」であり「終局」を表し、「生」と「死」との結合を意味する。そこから「過程」という意味を持つようになる。その為「変化」を意味する者となり、「賢者の石」を象徴するようになる。

 ウロボロスは象徴としての意味合いが強い。蛇は脱皮を繰り返す、つまり生と死を繰り返す存在である。そこから蛇は神を表すようになり、神の姿に取り込まれた。その象徴にさらに尾を加えさせることにより「円環」の意味合いを取り込ませた。そうすることで、ウロボロスはより強い不死性を得ることになったのではないだろうか。
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by homeandhome | 2004-05-29 21:05 | ドラゴン

神話、それ自身について。

 「神話」という言葉については両義的な印象を持つ。「それは神話にすぎない」という言葉の裏には「くだらない妄想だよ」という意味が込められている。一方「工藤の不敗神話」などというときには、なかなか破られない、それこそ神に保護されているような印象も受ける。また創世の神話など、人々は神話に対して、かくも複雑な印象を持っている。

 神話は「天地の創造」、人類の誕生、文化の起源などさまざまなものを伝承として伝えていく。その解釈は時代によって様々であるが、様々に解釈されることにより、その命を長らえさせていく。つまり、神話にとってもっとも大事なことは「人々に語り継がれていくこと」にあるのではないだろうか。しかしそれは強制していくものではなく、変化するに任せて、自然とつながっていけばいいように思う。その神話がその時代時代で、解釈されていき、その時代時代で新たな命を吹き込まれていく。それで十分ではないか。

 最も危険なことは、その神話を絶対視して、思考を停止することである。例えば些末なことであるが、「工藤の不敗神話」があったとしても、それはいつか破れるものであるし、そのことによって工藤の価値が下がるわけでもない。しかし、一方で神話が崩れることにより、大きな反動がくることがある。それが神話の絶対視により起こるのではないか。つまり我々は神話に対して、常に思考のまなざしをむけているべきだと思う。
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by homeandhome | 2004-05-29 11:42 | 神話

黙示録の赤いドラゴン

 キリスト教の新約聖書「ヨハネの黙示録」には七つの頭と、十本の角を持ち、それらの角にそれぞれ十本の角を持つ「レッド・ドラゴン」が登場する。尾の一振りで、空の三分の一の星を払う力を持っており、キリスト教徒を苦しめる。一説によれば、七つの頭はキリスト教徒を弾圧した七人のローマ皇帝を表すともいう。このドラゴンは大天使ミカエルとの戦いに敗れ、地下の地獄に閉じこめられている。キリストが再臨するとき、この龍は解き放たれ、キリストに滅ぼされる。
 このドラゴンは悪魔サタンであり、その比喩としてドラゴンの姿が選ばれた。しかし一方でユダヤのヤーウェはドラゴンと同じように蛇の姿を持つ。ユダヤ教とそれに連なるキリスト教では蛇というのは忌むべき存在として描かれることが多いが、その唯一神も蛇の姿として描かれているのはいったいどういうことだろうか?

 論を進めていくとドラゴンが蛇の姿を借りる必要があったのは、古代からの偉大なものとしての蛇の姿と、そのフェイクとしての姿が二重写しになっているように思う。偉大な力の象徴として蛇の姿は必要であった。ドラゴンはその姿を神の似姿として得るが、やはり神は唯一という思想から言えば、その姿が似ていれば似ているほど、悪としての価値が高まったのではないだろうか。ブランド品とフェイクがあれば、人は異常なほどフェィクを憎む。それは真のものに対してフェィクの存在自身が冒涜をしていると考えてしまうからかもしれない。

 だから、キリスト教におけるドラゴンは神のフェィクとしての機能を持っている。そのためキリスト教徒からは非常に憎まれてしまうのではないだろうか。その後英雄譚としてドラゴン退治はよく出てくるが、それは神の似姿を倒すことによる英雄の力の誇示という面が強い。
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by homeandhome | 2004-05-28 22:39 | ドラゴン

ドラゴン退治。

 ドラゴン退治のエピソードの一つに、バビロニアの神話がある。バビロニアの英雄神マルドゥクが大洪水を起こすドラゴン「ティアマト」を引き裂き、天と地を作ったのだという。ティアマトは「七頭の大蛇」とも、蛇の胴体にライオンと鷲が合成された動物とも言われる。

 このエピソードから伺えるのは、古代のバビロニアの王権にとって、チグリス・ユーフラテス河の問題が常にあったのではないだろうか。その支配を神話化したのが、この話だと考える。中国の場合も黄河の支配ということで龍が出てきたが、こちらの場合は敵対者として現れる。その最初の掛け違いがあとで、西洋のドラゴンと東洋の龍の違いになって出てきたのかもしれない。
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by homeandhome | 2004-05-27 22:45 | ドラゴン

さて、ドラゴン。

 「龍」の英訳は「Dragon」となっていて、私たちもそれをためらわず使用している。例えばゲーム「ドラゴンクエスト」は龍王と戦う物語であるし、ドラゴンボールで呼び出される龍は東洋の龍をモデルにしている。
 しかし、その実態を考えたとき、龍とドラゴンではあまりにイメージが違いすぎる。また成獣とされた東洋の龍と異なり、西洋のドラゴンは神々や英雄に退治される悪魔的存在である。ただ、別の部分では同じような資質も持っており、比較してみるのも面白いかもしれない。
 というわけで、このカテゴリでは西洋のドラゴンについて語っていきたいと思う。
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by homeandhome | 2004-05-27 22:22 | ドラゴン

大天使メタトロン

 大天使メタトロンは三十六枚の羽と無数の眼を持つ天使である。神の代理人であり、秘書官としても名高い。つまり最も神に近い存在である。そのため小YHVH(神の名を表す)という称号も与えられている。また天使達の王、契約の天使とも呼ばれている。神によって天の書記官としての役割を与えられている。特にイスラエルの出来事をどんな些細なことも逃さずに記録しているらしい。

 さて、このメタトロンはエノクという人物が昇天して天使になったとも言われる。エノクは人間としてあまりに高潔だったため、神は彼の肉体を炎にし、天使達の長としたという。このエノクという人物はエノク書(天使達について書かれた書物)の作者として名高い。ただし本当に書いたかは不明である。しかし伝説が本当ならば、エノクは天国を訪れてそして地獄を訪れ、その様子を記述したらしい。

 またその一方で、堕天使達の長としても名高い。あまりに力が強すぎるためだろうか,
神と対立する者としても描かれいる。この辺りの記述は小YHVHと呼ばれたことがグノーシス主義の「デミウルゴス(創造主)」のイメージと重なってしまったからではないだろうか。またイスラームでは神は天書を持つという。それを天使達は書き写して地上に啓示するともいわれる。その役目はメタトロンの役目とも被ってくるので、何らかの影響を与えているかもしれない。

 最後に余談であるが、何故かこの天使には双子の弟がいる。名をサンダルフォンという。鳥たちの支配者であり、メタトロンよりも大きい体を持ち、人が足先から頭まで上ると500年はかかるらしい。
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by homeandhome | 2004-05-26 22:34 | 大天使

雑感 2 刹那主義

 人はレコードを発明した。
 レコードが生まれたとき、人の認識が変わった。
 それまで人が愛してきた音楽の価値が変わった。

 人は映画の発明した。
 映画が生まれたとき、人の認識が変わった。
 それまで人が愛してきた演劇の価値が変わった。

 レコードと映画の共通点。

 「再現性」

 レコードは聴覚に対する再現性。
 映画は資格に対する再現性。

 人は視覚と聴覚において「瞬間」を失ってしまった。

 だから我々は瞬間を愛するのだ。
 失われたものに対する哀悼の意を込めて。

 だから我々は瞬間を愛するのだ。
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by homeandhome | 2004-05-25 23:18 | 雑感