わたしゃ、いったい日頃何を考えているんですかねぇ的雑文集。
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カテゴリ:ドラゴン( 21 )

ウェールズの赤い竜

赤い竜はウェールズの紋章である。
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 「ルッドとルッフェリス」という物語で赤い竜と白い竜の戦いが語られている。蜂蜜に酔って眠ってしまった二匹の竜はブリテン島のオックスフォードで石棺に納められ、埋められているそうだ。この赤い竜はウェールズを表し、白い竜はサクソン人を表している。ドラゴンは陽の力と陰の力が備わり、原初の混沌を表す。白い竜は死の青白い色を、赤い竜は怒りと激しさを表し、いつ何時よみがえってその猛威を振るうか分からない。

 ケルトにおいても中国の思想と同じように王を表すようだ。遠く離れた場所で、同じような思想が存在することに感動を覚える。C.Gユングはその著書の中で元型としてこう描いている。

 「英雄と竜の戦いは『退行傾向に対する自我の勝利』という主題を浮き彫りにさせる。大部分の人々にとって、人格の、否定的な闇の側面は無意識のままである。英雄は逆に暗闇が存在し、そこから力を引き出せると考えたに違いない。竜を打ち負かすほど強くなりたければ、闇の破壊力と一体にならなければならない。言い換えれば、自我はまず暗闇を支配し、これと同化しない限り勝利を得ることは出来ない」

 つまり私たちは誰でも心のなかに「竜=無意識の闇の側面」を飼っており、その竜を飼い慣らした者=英雄を自分たちの支配者として尊敬したのではないだろうか。中島敦が山月記のなかで同じようなことを描いていた。もっともこの場合はその無意識のコントロールに失敗し、外形を虎に変えてしまった例だが・・・。

 
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by homeandhome | 2006-05-14 19:33 | ドラゴン

自然の象徴としてのドラゴンと悪魔。

 トワフレー洞窟にはトナカイの角、オオカミの耳、フクロウの目、熊の足、馬のしっぽを持つ」魔術師の姿が描かれているという。動物の要素を組み合わせ、より力の強い合成生物を作り出すというのは昔から行われていたようである。この手法は東洋の龍の手法と似ており、様々な文化においてよく見られる。ルネッサンスのころ、あのレオナルド・ダ・ヴィンチは人々をおびえさせるようなものを描きたいと願い、入手可能なあらゆる種類の生き物を部屋に持ち込み、合成動物を描こうとした。伝記作家のヴァザーリは「彼が作り出した動物が非常に恐ろしいものだった」と記述している。

 人間を理想化することにより人々は「神」を作り上げたが、自然の力を象徴するものとして動物を組み合わせ、様々な幻獣を作り上げた。その最たるものがドラゴンであろう。しかし西洋においてはドラゴンは次第に悪魔に取って代わられる。よく我々の脳裏に浮かぶ悪魔の像は山羊の角を持った姿(バフォメット)であろう。それは人間の姿を装う獣である。ここにもしかしたら西洋の進歩主義の要素が見られるのかもしれない。つまり人は「悪魔=自然」から「人間」に、そして「神」になるという構図があると考えられないだろうか。東洋における龍は自然の象徴としてそのまま恐れ敬われてきたが、西洋ではドラゴンという自然を「悪魔」と置き換えることにより自然を「遅れたもの、不吉なもの」として形象しようとしたのかもしれない。そしてそれに対抗していくことにより、自らを完全な人間=神となる道を造ろうとしたのではないだろうか。

  
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by homeandhome | 2005-07-23 15:52 | ドラゴン

ジークフリードとファーヴニル

 父親を殺し、その財宝を手に入れ、その財宝を守ることしか頭になくなったファーヴニル。ファーブニルは宝にかけられた呪いのため、リントヴルム-翼がなく、鱗に覆われた身体を持つ蛇のようなドラゴン-と化してしまっていた。弟のレギンは兄が奪った父親の宝物を取り戻すため、ジークフリードをそそのかす。その心の中には最後にジークフリードを裏切って、宝を独り占めしようとする欲が存在していた。

 ジークフリードはレギンにうさんくさいものを感じながらも、彼の言葉に従ってファーヴニルを倒す。ファーヴニルを倒した後、レギンは「心臓を焼いて寄こせ、これはただの象徴的な行為だ、そうやって勝利を誇りたいのだ」という。本当はその心臓に莫大な魔力が存在しており、その力を持ってジークフリードをレギンは殺そうとしていたのだった。しかし、ジークフリードが心臓を手渡す前に、その血のついた指をなめたため、鳥の声が分かるようになり、レギンが裏切っていることを悟る。そうしてレギンはファーヴ゛ニルとともに洞窟に転がる羽目になってしまった。 一方、ジークフリードもその財宝とその呪いを自分では知らぬままに受け取ってしまう。

 この伝説はワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の題材にもなっている話であるが、物語としてはとても面白い。ジークフリードはヴァイキングとして十分な資格を持っているが、王となる資格はなかった。しかし英雄たる資格は持っている。ジークフリードはタロットにおける「愚者No.0」とも言えるのではないだろうか。様々な人に愛され、利用され、そして成長し、最後には悲劇的な死を迎える。そんな英雄の姿に人々は感動し、祭りの終わったことを理解し、日常へと回帰していく。まぁこれは余談。

 
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by homeandhome | 2005-05-15 20:52 | ドラゴン

聖マルガリータ

 聖マルガリータは異教の神官の娘に生まれたが、乳母がキリスト教徒だったため、成人すると同時に洗礼を受けた。その為家から追い出されて羊の番をして暮らしていた。

 ある日ローマの長官がマルガリータの美しい姿に目をとめ、館へ連れ帰り、キリスト教を捨てて自分の妻になるように強要した。マルガリータはその申し出を断ったが、その為ドラゴンのいる牢獄に閉じこめられてしまった。大きなドラゴンはマルガリータを飲み込んでしまったが、マルガリータが必死に神に祈ったとき、神は彼女の祈りを聞き、ドラゴンの腹をさいて、彼女を助け出した。

 ドラゴンを何の武器もなく倒してしまったことで、マルガリータには魔女の嫌疑がかけられ、激しい拷問にかけられたが、神は彼女を守り、処刑される直前に天から「汝の祈りは聞き入れた」という声が聞こえ、彼女は助かった。 

 この話は西暦306年に起こった事実とされており、マルガリータは安産の守護天使として以後、尊敬されるようになっていったそうである。

 この神話には、ドラゴンの腹から生まれたという表現があるが、ドラゴンが「異教」を表しているように感じられる。異教徒の中からキリスト教徒が生まれ、様々に迫害されるが神は守ってくださるということを、象徴で語ったのではないだろうか。そのことにより、異教徒の中からキリスト教徒になったものに対して、救済を示し、いま異教徒であるものに対して、布教の一環としたのではないだろうか?
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by homeandhome | 2004-11-03 18:04 | ドラゴン

ヒュドラ

 ヒュドラ(ヒドラ)はヘラクレスと戦った毒をもつドラゴンである。このドラゴンは台風の神チュポンと半人半蛇エキドナから生まれた怪物の中の一つである。ヒュドラには9つの首を持ち、その首の中の8つまでは殺すことが出来るが、真ん中の一つだけは不死身である。ヘラクレスはこの大蛇を結局殺すことは出来ず、たたきつぶして、その上に岩を乗せて押さえつけたそうだ。

 ヒュドラを特徴づけているものは、この九つの首である。ある神話学者は、この首は埋めようとしても埋めることの出来ない沼地の表現であるという。沼地を埋め立ててはたけにしようとしても次々に水かわき出してくる。それが切り落としてもなんどもよみがえるヒュドラの首として表現されているという。

 ヒュドラはヘラクレスの英雄伝説のなかの一つであるが、このヒュドラの毒が結局、ヘラクレスを殺してしまうというのがこの伝説の面白い所でもある。アキレス然り、ジークフリードしかり、半不死の身体を持つが、その不死性はどこかかけた所があり、そこが致命傷となる。それは英雄の宿命であるようにも思う。英雄は伝説としては不死であるが、肉体としては死ななければならない。英雄は死ぬことによりその命を得るからだ。その為には強大な力を持つものが倒されることが必要であり、そして英雄自身もその自らの力で死ぬことが運命づけられていると思う。
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by homeandhome | 2004-10-31 19:42 | ドラゴン

聖マタイ

 キリスト教十二使徒の一人マタイはドラゴンと出会ったらしい。彼が諸国を放浪してキリスト教を布教している時に魔術師に出会う。その魔術師は二匹のドラゴンを操り、人々を恐怖で縛り付けていた。マタイはその魔術師のもとを訪れ、魔術師と対峙する。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけようとするが、マタイが十字をきったところ、ドラゴンは眠り込んでしまい、魔術師の言うことを聞かなくなってしまった。マタイは魔術師に語る。
「ここから去るように、人々に迷惑をかけないように。」
魔術師は目が覚めたドラゴンとともにどこか遠くに消えてしまったそうである。

 ドラゴンはキリスト教において邪悪な存在であるが、この神話において、マタイはドラゴンを倒していない。ただ「十字」を持って支配しただけである。この辺りにキリスト教の「神」の性格が出てきているのかもしれない。キリスト教の神は「愛」を中心に起き、世界を語ろうとする。その愛は「至上」のものであり、例えば邪悪な者に対しても発揮されるものに仕立て上げている。そのこともあって、「退治」ではなく「追放」という形になったのかもしれない。
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by homeandhome | 2004-09-06 10:02 | ドラゴン

ジークフリード

 ジークフリードの物語の中で特に興味深い部分は、ドラゴンを倒すことにより、不死性を身につける部分である。さらに彼はもう一匹のドラゴンを殺したときに鳥の言葉を理解することが出来るようなる。
 
 この例の興味深い部分はドラゴンを殺すことにより、ジークフリードは強力な力を手に入れるということである。ドラゴンを殺すということは原初の力の克服であり、そのことにより新たな秩序を手に入れる。これが個人的な部分で考えると、危機を乗り越え、より高次の存在に成長するという形になる。英雄伝説はそういう人の成長の物語であり、そのために様々な困難に出会うことになる。
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by homeandhome | 2004-07-25 22:09 | ドラゴン

聖ゲオルギウス3

 聖ゲオルギウスはキリスト教を信仰したために拷問にかけられ殺された。裁判官が脅しや拷問によって、ゲオルギウスの心を変えられないことを悟ったとき、ゲオルギウスを親切な言葉によって懐柔しようとした。しかしゲオルギウスはその本心を見抜き、笑って立ち向かったそうだ。

 この伝説はドラゴン=「サタン」の形式を見事に描いている。最初「脅し」を使用し「甘い言葉」で懐柔する。かつて「イブ」が狡猾な蛇(サタン)の甘い言葉でエデンから放出されたのに対し、ゲオルギウスはサタンの甘いささやきにのらない。イブの罪はキリストによってあがなわれたが、その為聖ゲオルギウスは原罪にとらわれることなく、信仰を貫き通すのである。この辺りの伝説の流れも、ドラゴン退治の伝説と同じように、聖書の物語をもう一度なぞっているように思われる。
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by homeandhome | 2004-07-21 21:16 | ドラゴン

聖ゲオルギウス2

 聖ゲオルギウスは先ほどの伝説のようにドラゴン退治で名を馳せている。
この伝説は

 聖ゲオルギウス=大天使ミカエル
 毒を吐くドラゴン=サタン
 王女       =聖母マリア

天の戦いが、現世において顕現したものとも言われる。その為ゲオルギウスはミカエルと同様に信仰の対象となっている。 

 この伝説は異教徒の不信仰に対するキリスト教信仰の戦いというモチーフが如実に表れている。人々の無理解、一人の処女が異教のため生け贄にされる。それに対するキリスト教の救い。そしてその処女を起点としたキリスト教への改宗。繰り返し何度も語られるモチーフである。そのためこのタイプの物語はキリスト教圏で何度も形を変えて語られることになる。

 この話のように、わざわざドラゴンを民衆の前に連れて行き、公開処刑するというところが、結構この時代の思想を反映していてるように思う。公開処刑は一つの娯楽であり、悪を断罪するという形で、自分の悪徳をその罪人に仮託して処刑することにより、カタルシスを得る。つまり、毒を吐くドラゴンは、異教を信仰した罪を着せられ、聖ゲオルギウスに殺されるのである。ドラゴンは人々の罪であり、それを背負って死んでいく。ここに奇妙な類似が感じられる。キリストは人々の原罪を背負って、天に帰る。形としては両方とも人々の罪を背負って死ぬのである。

 これは人々の罪の外在化することにより、救いを求めるためのシステムではないのか。罪の意識は外在化することにより対処がしやすくなる。例えば、悪霊がとりついたために、彼はあのような行動を起こしたなどとすれば、罪は悪霊にあるのであって、彼にあるのではない。そうやって、再び共同体の中に罪を背負った人物を取り入れることが可能になる。この伝説はそういったシステムが表れたものかもしれない。
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by homeandhome | 2004-07-19 17:19 | ドラゴン

聖ゲオルギウス

 聖ゲオルギウスはローマ帝国の属州カッパドキア出身のローマの将校である。迫害されたキリスト教徒を公平に扱うことを帝国に要求し、自らもまたキリスト教徒であることを告白したためにディオクレアティアヌス帝の時代に殉教した。
 
 この聖人のドラゴン退治の伝説は以下のようなものである。

 ある町の近くの湖に毒を吐くドラゴンが住んでおり、その毒で多くの人を殺した。この町の市民はドラゴンを殺そうとしたが、返り討ちに逢う。結局このドラゴンの怒りを交わすために羊一頭と人間一人を与えてきた。やがてほとんど町のすべての息子や娘が龍に差し出され、とうとう籤は王の娘に当たった。王は娘を助けるため、宝を与えると言ったが、当然町の住民はそれを許さなかった。王は結局王女をを犠牲にする。王女は悲しみながらも湖へ出かけていった。

 そのとき聖ゲオルギウスが表れ、王女の嘆きをきく。ゲオルギウスはは馬に飛び乗り、ドラゴンに向かって十字を切って、長槍を投げつけた。ドラゴンは倒れ、ゲオルギウスは王女に言う。「あなたの帯を取って、このドラゴンのくびに巻き付けなさい。何も恐れることはない。」王女がゲオルギウスの言う通りにすると、ドラゴンは飼い慣らされた子犬のように王女についてきた。

 町に王女がドラゴンとともに戻ってくると、町の住民はみな恐れて山の上や洞窟に隠れた。ゲオルギウスは町の皆に言った。 「恐れてはいけない。神様があなた達を救うために私をあなた達の基に遣わしたのです。キリスト教を信じ、洗礼を受けるならば、私がこのドラゴンを撃ち殺してさしあげよう。」 すると王が洗礼を受け、彼とともに全ての国民が洗礼を受けた。聖ゲオルギウスは剣を抜き、ドラゴンを撃ち殺したという。
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by homeandhome | 2004-07-19 11:04 | ドラゴン