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神々の黄昏と終わりなき日常。
北欧神話で有名な「神々の黄昏」ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の最終章でもあるわけだが、この観念というのは様々な神話に見られる。キリスト教の「ヨハネの黙示録」などもその一種であり、人々は終末を望んでいるかのようである。
終末論として、前世紀末に人々に膾炙した「ノストラダムスの大予言」なども良い例かもしれない。あの喧噪を思い出すとなかなかシュールでもある。宮台真司は「終わりなき日常を生きろ」と言ったが、終わりなき日常に耐えられないのが人間なのかもしれない。 人が己を律するということは、「破滅からの回避」という点が必ず存在するからだ。そしてそれを最も良く表現してくれる者に容易にしがみつく。ある意味それが宗教における真実でもあるし、現在のカルト教団において、ほとんどの場合「破滅→救済」という形をとる。 破滅を回避するため、人はもがき続ける。しかしその破滅のイメージがうまく結べない場合どうだろうか?その人物を私たちは理解できるのだろうか。それが創造に向かっている場合はまだよい。それが破壊に向かったとき、私たちはその人物を理解できるのだろうか。それが非常に難しいことはあの大阪の事件を思い出せば理解できるだろう。「死」を前にして、そこに破滅的イメージを持ち、そしてそのイメージの具現化を望む。 日常は常に先に滅びのイメージを持つ。そうでなくては日常を維持しようとする意欲がわかないのではないか。日常から滅びのイメージが消えるとき、理解できない死が具現化する。人の死=滅びのイメージが曖昧化している現在、共通の理解ができなくて人々は苦しんでいる。それは人々の中から共通のイメージが消えたからそうなのか、そうだから共通のイメージが出来なくなったのかは分からない。 価値観多様化の時代、それはもしかしたら新たな物語ができあがるまでの混乱の時代なのかもしれない。終わりなき日常に本当に終わりがないのか、誰も知らない。
by homeandhome
| 2005-08-13 02:29
| 神話
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